これが私の愛のかたち
私は周りに比べて、随分と心ここにあらずな人生だなと思う。
オタクとして、いやそれ以前に人間としても。
全力で取り組むべきことや、有り金全部つぎ込み続けてる趣味のことに対して、普段本当に何も考えていない。考えれてない。思考力ゼロ。
ときたま、思い立ったように語りだすことはあるのだけど、その時が来るまで白昼夢を見ているかのような感覚で生きている。
そして、心ここにあらずな人間であると同時に、やりたい放題の自由人間でもあると思う。
これを自覚したのはここ数年の話だ。
高校までの少数の友達とネットとだけ向き合っていた閉ざされた世界でのオタク人生から、大学に入ってリアルのオタク友達と行動範囲がグッと広がったのきっかけだと思う。
(中学から周りに仲良いオタクはいたのに不思議だね、自我がなかったのかな?)
オタクって実在するんだ!!!って衝撃を受けた。アイドルかよ。
大学に入って様々なオタクに出会った
当然だけどいろんな人がいて、自分と同じスタンスの人はほとんどいなかった。
でもみんなそれぞれ自分を持っていて、素敵なオタクばっかりだと思っている。
(自分は自分、人は人ときちんとわかっている人であれば)
自分と違うことなんか、大した問題じゃない。人の趣味を、人生を、間違ってるなんて憤るほうが間違っていると私は思う。
みんな違ってみんないいって金子みすゞも言ってるよ!座右の銘にしたいわ…
みんな友達になってくれてありがとうございます!!
でも、私のスタンスって結局どんなものなんだろう?
ブログタイトルに「これは私の愛のかたち」とつけたが、これまで自分の愛のかたちについてうまく言葉にできたことがあっただろうか。
ここ数か月考えてみたけれど、素敵な言葉や定義なんて浮かんでこなかった。
代わりに、非常にシンプルな考えに行き着いた。
私は、自分のためにオタクをしているんだということ。
CDやDVDを我先にと予約するのも、雑誌を買うのも、テレビ番組の録画編集をするのも、ファンレターを書くのも、全部自分が決めたこと。自己責任で、経済活動だ。
この経済活動をすることは、アイドルのためにはなるだろう。
数ある応援の方法の中でも、かなり重要なことだと信じている。
でも、私は複数買いはあまりしないし、私という人間の経済活動に対した効果があるとは思っていない。
オタクは無力。それがほんとうに辛い。
だからこそ、オタク活動は全部自分のためなのだ。
コンサートに行くのも自分のため。
CDやDVDを買うのも自分のため。
交通費が高くても、お金が足りなくても、自分の責任。
やりたくてやってること。
楽しいから、彼らが好きだから、お金を払っても見たいと思っているから。
私だって勿論彼らに売れてほしい、幸せになってほしいという重くて純粋な気持ちで応援しています。
でも、それを万が一でもあなたの為に応援してあげてる!みたいな押し付けにはしたくないから。
だから、彼らのために何かしたい、絶対に幸せになってほしい「という自分のため」だってことを忘れないようにしたい。
思考力も購買力も弱い自分は、周りのオタクみたいにきちんと応援できてないと自覚してる。だからこそ、私は自分なりのペースでいこう。
誰かのためにちょっと頑張った!って思えるのは、今までのオタク人生でベストジーニストの時期くらいでいい。無償だからね。
(嘘、ホントは自分のこと褒めたくなるときもあるけど笑)
私みたいな普通のオタクは、アイドルに大したプラスもマイナスも与えないと思う。
だから、ファンレターを書くし、普段の行動にも気が引き締まるし、面倒くさがりな私が掃除や料理をしてみようと思う。魚だってきれいに食べられる自担のオタクでありたいと思う。
でも自分が自担に思うことがあったらぼやくくらいさせてほしいし、大好き!!と思ったら大きな声で言わせてほしい。
自分のために。
心ここにあらずで何も考えてない、だけどたまに考えるのは君たちのことばかりだよ。
君たちを思って悩んで泣いた気持ちは誰にも文句は言わせない、私だけのもの
これが私の愛のかたち。